【バドミントン界のレジェンド】7年間世界最強に君臨した男、ルディ・ハルトノ

バドミントンコラム

ルディ・ハルトノはわずか16歳のデビューから、母国からの希望を胸に世界最強に成長。
以降、なんと7年もの間、ルディ・ハルトノに対戦者は勝つことができなかった。自分のためだけではなく、国の代表として数々の試合を戦ってきた、重圧は計り知れないことでしょう。1972年西ドイツで行われた夏期オリンピックでは男子シングルスで優勝し金メダルを獲得。1975年の全英選手権大会の決勝にてなんとルディ・ハルトノはデンマークの高身長のスベン・ブリに敗退。しかし、翌年の全英大会で、ルディ・ハルトノはフェニックスのように復活。8回目の優勝を勝ち取ります。

プロフィール

  • 国:インドネシア
  • 生年月日:1949年8月18日
  • 身長:180cm
  • 利き手:右

キャリア・エピソード

ルディ・ハルトノについて

ルディ・ハルトノは中国の仁王ハップ・リャンで8人の子供の3番目として生まれました。彼の妹のジャンヌ・ウタマ・デウィはなんと全国5回の全国チャンピオン、そして元インドネシアのユーバー杯チームのメンバー。若い頃のルディ・ハルトノはいろんなスポーツを体験。陸上競技、バレーボール、ローラースケート、サッカー。さまざまな運動を体験するもバドミントンの世界に落ち着くことになりました。
ルディ・ハルトノは1976年ジェーンアンワルと結婚。二人の子供に恵まれています。

ルディ・ハルトノは引退後インドネシアバドミントン協会(PBSI)に参加。2006年まで開発担当会長などの役職を勤めた。現在は既出のPBSIの名誉委員会のメンバーとして活躍。1985年から1986年までと、1994年から2009年まで評議会のメンバーとして活躍。ルディ・ハルトノの評判やイメージにより国連開発計画(UNDP)は彼をインドネシアの親善大使として任命しました。

ルディ・ハルトノのプレースタイル

ルディ・ハルトノのプレースタイルとは、どのようなものだったのでしょうか?

打った後にそれで済まさず、後に備えるルディ・ハルトノ。落ち着いて試合に対応する。真っ向勝負するスタイルから相手のミスを誘う羽も打つ。丁寧なプレーをするように。よく見て逆を狙って相手をあざむく。
羽のスピードはおどろきの風速300kmほど。

主な戦績

夏期オリンピック 

  • 1972年 西ドイツ 男子シングルス 優勝 金メダル

男子シングルス

  • 1968年 全英 優勝
  • 同年 シンガポールぺスタ 準優勝
  • 同年 北インド 優勝
  • 1969年 全英 優勝
  • 同年 全米オープン 優勝
  • 同年 カナディアンオープン 優勝
  • 同年 シンガポールオープン 優勝
  • 1970年 全英 優勝
  • 1971年 西インド 優勝
  • 同年 全英 優勝
  • 同年 カナディアンオープン 優勝
  • 同年 デンマークオープン 優勝
  • 同年 全米オープン 準優勝
  • 1972年 全英 優勝
  • 同年 ジャカルタオープン 優勝
  • 1973年 全英 優勝
  • 同年 デンマークオープン 優勝
  • 1974年 全英 優勝
  • 1975年 全英 準優勝
  • 1976年 全英 優勝
  • 1978年 全英 準優勝
  • 1980年 イングリッシュマスターズ 準優勝
  • 同年 スウェーデンオープン 準優勝
  • 同年 ジャカルタ世界選手権 優勝
  • 1981年 ジャパンオープン 優勝

男子ダブルス

  • 1968年 北インド 優勝
  • 1969年 シンガポールオープン 優勝
  • 1971年 西インド 優勝
  • 同年 全英 準優勝
  • 同年 デンマークオープン 準優勝

混合ダブルス

  • 1969年 西インド 優勝

トマス杯

  • 1970年クアランプール 優勝 チーム
  • 1973年ジャカルタ 優勝 チーム
  • 1976年バンコク 優勝 チーム
  • 1979年ジャカルタ 優勝 チーム
  • 1967年ジャカルタ 準優勝 チーム
  • 1982年ロンドン 準優勝 チーム

アジア選手権大会

  • 1970年バンコク 優勝 男子チーム

まとめ

甘いマスクのルディ・ハルトノ。
人柄もありインドネシアの親善大使にも。1972年のオリンピックでは金メダル獲得。
七年間もの間世界最強になったこともあるインドネシアの名プレーヤー。

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