日本バドミントンの歴史

バドミントンコラム

「日本ではいつ頃からバドミントンがプレーされているのかな?」
「日本は昔からバドミントン強豪国だったのかな?」

このような疑問をお持ちの方に向けて、今回は日本のバドミントン界の歴史をご紹介します。

日本バドミントン界の歴史年表

まずは日本バドミントン界における主なできごとを、年表形式でご紹介します。

時期(西暦)主なできごと
1919年〜1930年台競技として名古屋や大阪、神戸、横浜YMCAでの講習から広まる。
1946年日本バドミントン協会(NBA)が設立。
1947年現在の全日本総合バドミントン選手権大会の前身となる第1回全日本選手権大会が開催。
1952年IBF(国際バドミントン連盟)に加盟。
1966年〜1981年1966年のユーバー杯(女子国別対抗戦)で日本女子が初優勝。その後、1969年、1972年、1978年、1981年の同大会も優勝。
1998年アジア大会で米倉加奈子が女子シングルスの金メダルを獲得
2004年日本代表のヘッドコーチに韓国から朴柱奉(パクジュボン)が就任
2004年頃「オグシオ」ブームにより、競技愛好家以外の国民の注目がバドミントンに集まる
2012年ロンドン五輪で藤井/垣岩ペアが女子ダブルスで銀メダルを獲得
2014年トマス杯(男子国別対抗戦)で日本男子が初優勝。
2014年女子ダブルスの髙橋/松友ペアが全種目を通じて日本人初の世界ランキング1位を獲得
2016年リオ五輪で髙橋/松友ペアが女子ダブルスで金メダルを獲得
2022年山口茜が「最優秀選手賞」を獲得奈良岡功大が「最優秀将来有望賞」を獲得

昔から世界各地で羽根をつく遊びが行われており、それがバドミントンの起源のひとつとされています。
1893年にはイギリスにバドミントン協会が設立され、ルールの統一が図られました。
その後、1920年頃に横浜YMCAの体育主事である広田兼敏が日本にバドミントンを伝えたとされています。
その後、日本国内でバドミントンが普及するとともに、1946年には日本バドミントン協会が設立。
1952年には国際バドミントン連盟に加盟し、現在の日本は世界屈指のバドミントン強豪国としてバドミントン界を牽引しています。

飛田 羽奈
飛田 羽奈

日本選手や用具メーカーの世界的活躍について以下の記事で紹介しています!

バドミントン強豪国日本への道筋

現在、女子シングルスと男子ダブルスの世界ランキング1位は、日本人選手です。(2022年12月16日現在)
日本は全ての種目で世界のトップを狙えるほどのバドミントン強豪国といえます。
しかし、日本は常にバドミントン先進国だったわけではありません。

1960年台から1980年代にかけて、女子選手がユーバー杯や当時の最上位大会である全英オープンで優勝するものの、1990年台から2000年台にかけては男女ともに苦戦を強いられました。

2004年に低迷からの脱却を図るため、韓国から朴柱奉(パクジュボン)をヘッドコーチとして招聘します。
2007年の世界選手権では男子ダブルスと女子ダブルスで銅メダルを獲得し、着実に日本人選手の成績を伸ばしました。
2012年のロンドン五輪では藤井/垣岩ペアが初の銀メダルを獲得し、続く2016年のリオ五輪では髙橋/松友ペアが初の金メダルを獲得します(どちらも種目は女子ダブルス)。

2022年には山口茜選手が年間最優秀選手に選ばれるなど、日本は世界有数のバドミントン強豪国となっています。

競技人口は増加傾向

日本のバドミントン競技人口は増加傾向です。
2021年の日本バドミントン協会の会員数は285,007人であり、20年前と比較すると約10万人もの会員が増加しています。

参照元 https://www.badminton.or.jp/nba/regist.html

技人口の増加の要因としては、日本選手の活躍によるメディアへの露出が増えたことによるものが大きいでしょう。
特にオグシオペアはバドミントン未経験者でもご存じな方が多いのではないでしょうか。
小椋/潮田ペア、通称「オグシオペア」は主に2000年代に活躍した女子ダブルス選手です。
実力もさることながら、整ったルックスが特徴で多くのメディアに取り上げられました。
人気ペアの活躍は、バドミントンの魅力が日本国内に認知されるきっかけとなったといえるでしょう。

また、天候を問わず楽しめるといった競技の特性もあり、現在バドミントンは老若男女問わず人気のスポーツとなっています。

まとめ

今回は日本のバドミントン界の歴史をご紹介しました。
今後も日本選手が世界を舞台に活躍することで、さらなる素晴らしい歴史を刻んでくれることを期待しましょう!

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