【前衛のスペシャリスト!】松友美佐紀の経歴やプレーの特徴をご紹介!

バドミントンコラム

日本バドミントン界史上初となる五輪金メダリスト、松友美佐紀選手をご存じでしょうか?
松友選手は、世界のトップ選手と比べて小柄なものの、高いテクニックとスピードを武器に世界のトップで活躍しています。
今回は、松友選手のプレーの特徴や経歴をご紹介します。

松友美佐紀はどんな選手?


松友美佐紀はどのような特徴を持つ選手なのでしょうか?
松友の功績やプレーの特徴を紹介します。

日本人初の五輪金メダリスト

松友は日本バドミントン界史上初となる、五輪の金メダリストです。
2016年のリオ五輪において、1学年上の先輩である高橋礼華とペアを組み、女子ダブルスを制覇しました。
リオ五輪の決勝は最終ゲームにもつれる接戦であり、第3ゲーム16-19からの5連続ポイントによる大逆転劇は、日本中を驚かせた快挙となっています。

プレースタイル

松友は前衛を得意とするダブルスプレーヤーです。
チャンスとみては素早く前衛のポジショニングをとり、後衛からのスマッシュを演出。
鋭い読みで相手の打つコースを予測し、コート前方でシャトルを捕まえる能力が優れており、まさに「前衛のスペシャリスト」といえます。
また、スイングが非常にコンパクトで、相手の速いショットに対しても、様々なコースに打ち分けられることが特徴的です。

ラケットはウイルソンを使用

松友は2011年からウイルソンのラケットを使用しています。

2016年のリオ五輪では、専用モデルである「FIRCE CX 9000」を使用して金メダルを獲得しました。
この快挙を永く語り継ぐために、メダル獲得日である8月19日は「ウイルソン・バドミントン・キセキの日」と称され、日本記念日協会により正式な記念日として制定されています。

https://baday819.wilson.jp/index.html

また、松友はリオ五輪以降もウイルソンとともに戦うこととし、現役生涯契約を結んでいます。
同社と現役生涯契約を締結しているのはテニスの錦織選手やフェデラー選手がおり、松友は名実ともに一流プレーヤーであるといえるでしょう。

凄まじい練習量

天才肌のように思われがちな松友ですが、元パートナーである髙橋によると、松友のプレーは「努力」の賜物であるとのこと。
遠征の途中、敗戦した場合でも翌日からジムに向かうほど、練習量が多いそうです。

松友選手の経歴・キャリア

松友の経歴を振り返ります。

幼少期

姉や母の影響もあり、松友選手は6歳からジュニアチームの「藍住エンジェル」でバドミントンを始めます。
当時から同級生の子と比べて、「運動能力が高かった」と、同クラブの監督は答えています。

小学校時代

藍住東小学校に入学。
小学校4年生のときに、全国小学生大会4年生以下の部でシングルスを制覇。
5年生のときには5年生以下の部を、6年生のときには6年生以下の部を同じくシングルスで優勝を飾り、同大会の3連覇を達成します。
また、クラブチーム対抗の若葉カップでも、4年生と6年生のときにチームの核として、藍住エンジェルの優勝に貢献しました。

中学校時代

徳島中学校に入学。
中学3年生のときに徳島県で開催される全校中学校大会(以下「全中」という)での優勝を目指します。
中学2年生のときに全日本ジュニア新人の部で優勝。中学校3年生の全中では、当初の目標の通り、シングルスと団体戦の2種目を制覇しました。

高校時代

バドミントン名門校である聖ウルスラ学院英智高校に入学し、社会人時代までペアを組むこととなる、1学年上の髙橋礼華とチームメイトになります。
シングルスを主戦場としていた松友は、当初、髙橋とダブルスを組む予定はありませんでした。
しかし、即席ペアとして髙橋と組むと、松友が高校1年生のときの全国高校選抜のダブルスで優勝します。
勢いそのままに、高校2年生のときにインターハイのダブルスを制覇すると、同年の全日本総合でもベスト4に進出しました。
2009年の大阪国際のダブルスも優勝し、ペア結成から着実に戦績を収めていきます。
なお、高校2年生のときのインターハイでは、松友はシングルスと団体戦も制して3冠を達成するなど、単複両方で高い能力を示しました。
※ダブルスの戦績は、全て髙橋と組んだもの

社会人時代|国内の活躍

髙橋の後を追うように日本ユニシス(現、BIPROGY)に入社。
髙橋と松友は「タカマツペア」と称され、入社翌年となる2011年の全日本総合ダブルスで初優勝を飾ります。
タカマツペアは、続く2012年と2013年、2015年と2016年も同大会を制覇しました。
松友はダブルスのみならず混合ダブルスでも、2013年と2014年の全日本総合を優勝し、日本ダブルス界の第一人者となりました。

社会人時代|海外での活躍

タカマツペアが日本のエースダブルスとして活躍するのは、2011年の全日本総合優勝から少し後になります。
当時、日本の4番手であったタカマツペアは、2012年のロンドン五輪への出場が困難と判断すると、2016年のリオ五輪の優勝を目標に据えて海外を転戦しました。
所属チームからのサポートもあり、2012年には世界ランキングが8位に到達。
その後はランク上位を維持しながら、2014年仁川アジア大会の銀メダルや、2014年と2015年のスーパーシリーズファイナル優勝といった実績を収めます。
そして、2016年のリオ五輪では世界ランキング1位として臨み、見事金メダルを獲得しました。

リオ五輪以降

リオ五輪後は、2020東京五輪での優勝を目指しますが、納得するような結果を残すことができませんでした。
新型感染症の影響により東京五輪の開催が延期され、体力やモチベーションの維持が困難と判断した髙橋は、2020年8月31日をもって引退を表明します。
事実上、タカマツペアは解散となりましたが、松友は金子(BIPROGY)と新たにペアを結成し、現在は混合ダブルスで世界のトップを目指しています。

まとめ

松友選手は、リオ五輪以降もストイックな姿勢で世界の頂点を狙っています。
ダブルスのスペシャリストとして、混合ダブルスの舞台でも活躍を期待しましょう。

※参考書籍:タカマツ★ バドミントンマガジン+α (B.B.MOOK1378)
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