バドミントンをいまプレーしている方々でも、実はその歴史を知らない、日本にいつ伝わったのか知らない…!なんて方は少なくないのではないでしょうか。
今回は、バドミントンの起源、そして日本での普及についてご紹介します。
起源は200年前のイギリス
サッカーやテニスなど、現在世界中で楽しまれているスポーツの多くがイギリスで誕生しました。バトミントンもそのうちの1つと言われており、その前身は、「プーナ」という皮の球をラケットで打ち返す遊びという説が有力です。
プーナは1820年代にイギリスの植民地であったインドで行われていた遊びで、イギリス兵が母国へ伝えたと言われています。この遊びが当時イギリスのボーフォード公爵の邸宅で盛んに行われ、その邸宅の名前「バドミントンハウス」にちなんでバドミントンと呼ばれるようになりました。
当時はコートサイズやプレー人数はバラバラであり、コルクにガチョウや鶏の羽を刺し、馬や羊などの皮で包んだコルクにガチョウや鶏の羽を刺したものをシャトルとして使用していました。
シャトルの大きさや重さもまちまちで、重さは今より5倍以上あったと言われています。
世界バドミントン連盟の設立
イギリス国内でバドミントンが普及すると1893年に英国バドミントン協会が設立され、バドミントンのルールが統一されます。
その後、アメリカやカナダなど世界中で競技されるようになり、1934年に世界規模での組織として世界バドミントン連盟(IBF、現BWF)が設立されます。
現在、男子バドミントン界で最も権威のあるトマス杯は、IBF初代会長のジョージ・トーマスの名に因んでおり、1948年から現在まで続く国際大会となっています。
1992年第25回バルセロナオリンピックからはバドミントンは正式競技となっています。
日本へは明治維新後に米国から伝えられる
イギリスで生まれたバドミントンが日本に伝わったのは1921年のことです。明治維新後の当時、横浜YMCAの体育主事であった広田兼敏が米国人からバドミントン用具一式を寄贈されたのが始まりとされています。
当時、明治政府によってたくさんの外国人講師が日本に招かれていました。
彼らは学問を教える傍ら、母国の生活様式も多く日本に持ち込んでいます。趣味としてのスポーツもそのひとつ。
この時期に海外から伝わったスポーツはバドミントン以外に、バレーボールやバスケットボールなども挙げられ、同じように日本国内に普及していきます。
戦後にバドミントンの普及が加速
第二次世界大戦後、日本でのバドミントンの普及は一気に加速。
1946年日本バドミントン協会が設立されます。
翌年、1947年には第1回全日本総合バドミントン選手権大会が開催されました。
この大会は、上位に入賞すると日本代表に選ばれ、海外大会に出場することのできる現在日本で最も権威あるものとなっています。
その後1952年に日本はIBFに加盟しています。
日本でのブームの火付け役は「オグシオ」
現在、バドミントンの代表的な世界大会といえば、オリンピックや世界選手権、世界国別対抗戦である男子のトマス杯・女子のユーバー杯があります。
1960年代以降これらの大会では、実力をつけた日本人選手たちが活躍するようになります。
1966年から81年のうちに行われたユーバー杯では、6回の大会の中5回、日本が優勝を飾っています。1900年代後半には、さまざまな国際大会で上位に名を連ねるようになった日本ですが、当時の日本においてバドミントンはまだまだマイナーなスポーツであり、国民的な話題とまではなりませんでした。
そんな中、バドミントンブームの火付け役となったのが全日本総合バドミントン選手権女子ダブルスで5連覇を遂げた「オグシオ」です。
バドミントンを詳しく知らない人でも「オグシオ」を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
全日本選手権でオグシオペアが優勝を飾った年、そのルックスやトークの軽快さからメディア出演も増え、写真集が発売されたりその年の流行語大賞にノミネートされたりするなど「オグシオブーム」が到来します。
私も当時オグシオの大ファンで、憧れの存在だったなー!!
「オグシオ」が注目される中、バドミントンの手に汗握る白熱したラリーの魅了される人が増え、その人気も上昇していきます。
他の強化選手も着々と実力を実らせ、2016年のリオオリンピックでは女子ダブルスで髙橋・松友ペアが日本人初の金メダルを獲得し、世界の強豪に名を連ねるようになります。
また2019年の世界選手権大会では、日本は全種目でメダルを獲得し、強豪国の中でもトップクラスの強さを誇るようになります。
強豪国から追われる立場となった日本ですが、2021年の東京オリンピックでは打倒日本の為に研究を重ねた海外勢に惨敗。
思うような結果が出せず全種目で銅メダルひとつという結果に終わっています。
まとめ
東京オリンピックでは自国開催というプレッシャーもあってか、厳しい結果に直面した日本ですが、2024年のパリオリンピックへ向けて新たなスタートを切っています。
日本バドミントンの歴史については別の記事でも詳しく取り上げています。
良かったら見てみてくださいね!